今年の夏から秋にかけて、関西のローカル放送局サンテレビで、かの名作アニメ【アルプスの少女ハイジ】が再々放送された。
ローカル局、しかも平日の朝7時台の放送ゆえ、番組に気付いたのは、物語りの中盤から終盤、ハイジがドイツ生活で疲弊、夜な夜な夢遊病で悩まされる。。。と言うシーンからであり
第一話から観たかった反面、
夢遊病のおかげで、アルプスに舞い戻れると言う、それまでのドイツ生活の辛く悲しい場面は観なくて済み、ある意味、ホッとした気分でもあった。
このアニメ、令和の今、何度観ても凄い!
名作と言うのは、こういうアニメのことを言う。
と偉そうに言ったが、放送当時は存在こそ知っていたものの、当時アニメの興味はゼロ。
じっくり、ハマったのはそれから数10年後、2人の子供らと一緒に再放送を観た時、子供以上に【すっかりハイジの虜】になってしまったのである。
それで、高畑勲の凄さに今更ながら気づかされる。
(歩けなかったクララが、ハイジやベータ、おん爺らのおかげで、ついに立ち上がり、歩けるようになるまでを描いた感動シーン)でお馴染みですが、
高畑勲の凄さは、クララがアルプスにやって来て、そんなに簡単には、歩かせてはくれなかった。ってな演出。
クララがアルプスにやって来て、歩くようになるまで、なんと10話近くも費やしていたのだ。放送当時は週一。
すなわち10週。なんと二ヶ月以上にわたり、延々と一歩一歩な前進。
クララの悩み、葛藤、努力、周囲の励まし、時には反抗や小さな対立さえも描き出す決め細かな描写の数々。。
たしかリアルタイムな放送当時は、日曜の夜。視聴対象は子供を中心としたファミリーの筈なのに、安直な快楽を簡単には描かず
人生にはさまざまな葛藤や苦難、障害が憑き物。今日、立ち上がりが出来たとしても
明日には、また後退することもある。
人生をなめてはならない。決して甘くは無いのである。
凡人監督なら、そこまで描き出すことなど決してなかった筈だと思う。
さらなる高畑勲の凄さ。
これが本日のポイント。。。
昔、観た時には気付かなかったが
第46話【クララのしあわせ】
この回は、とてつもなく、哲学と言うか、真の幸福とは?に考えさせられる。いわゆる神回だ。
クララのしあわせ
録画再生(平日の朝ゆえパート仕事)を観た時
「え。まさか。いきなり立ち上がり?良かったねクララ。けど最終回はまだ先の筈」
疑問に思いつつ観始めたところ、立ち上がりの気配すらありません。
何がしあわせ。。、?
と観たところ、
クララのしあわせ
アルプスの山を満喫したクララ、ベータ手作りの背負子に、負われベータの家を訪問。お婆さんに物語り本を読み聴かせてあげたところ、眼の不自由なお婆さんは、とてつもなく感激。クララに対し、心からの感謝の言葉。
↓
するとクララの反応。
↓
【いつも他人の世話になり面倒をかけていたクララが、ひとの為になることが自分にも出来るとわかったからです。クララにとってはこれは素晴らしい発見でした】
いやはや
このナレーションには泣かされました。
同時に
人生にとって、何が幸福か
について、気づかされました。
ひとの為に何か出来ることの喜び。
人から何かの親切をされるより、
人にしてあげられることこそ
本当の幸せを感じる。
昔、このシーンを観た筈なのに、全然記憶がない。
つまり、ピンと来なかったのだと思う。
齢(よわい)65。
この歳を迎え、ようやく人生の本質に気付いたと言える。
んじゃ醤油ことで。またね。
え?
女房の退院、その後は、?
いずれまた。じっくりと。ひとつ言えるのは、焦らず慌てずゆっくりと。
まさにクララ。
さしずめ、わたしゃ、おん爺ぃ、、、かいや。
またご心配を一部の方にお掛けしましたが、あのブログジンクスは
乗り越えたと申し上げます。
でわ。また。