たしか、伊丹十三氏の著書の中で、そのことに触れられていた記憶があり、
本棚から ヨーロッパ退屈日記やら、女たちよ!やら、再び女たちよ! とかの本を引っ張り出し、むさぼり読んだ というか、
その一文を探したのだが、なぜか見当たりませんでした。
『ホームを走る女を私は認めない』
凄く共感し、一種の感動をも持った、強烈な記憶に残ってる文章なのだが、
或いは
伊丹氏なら その言葉を言ってくれるかも
的な、私の 思い違いかも。
んで
なぜ今ごろ この言葉を思い出したかと云えば
数日前
乗り換え駅、地下鉄構内、必死の形相で全速力で走るバカ女と危うく衝突しそうになったのである。
最近の、ちんたらちんたら ノロノロ歩きスマホ女も たいがいな迷惑バカ女だが、
生命の危険や害を
第三者に与えるおそれが
無いだけマシかも
そう云う風に思います。
乗り換えの地下鉄ホームを全速力で走る。
すなわち、お目当ての列車を逃したなら、次までそこそこ待たねばならず、時間の無駄だと考えてるのだろうけど
たったの3分や5分程度 縮めたぐらいで
どんだけ〜なメリットがお前にあるのか、
そこのところよ〜く考えろ。
ところで
伊丹十三氏 略歴であらためて発見したのだけど
亡くなられたのは自分と同い年64だったのですなぁ。。。